ワーキングマザーは夢をみる

働きたい、育てたい、すきなことをしつづけたい。

保育園バッグを手作りしたけど、特に「子供のため」や「愛情表現」にはなってないなと振り返る。

通園用のバッグを手作りするか?既製品にするか?

手作りであることを指定する保育園は、施設(棚やフックなど)に合ったサイズ、他の子と見分けがつくように、という理由もあるようですが、今はオーダーメイドのサービスも充実しているし、スペックさえ満たしていればどうやって作られたかは気にする必要がないのではと思います。
とはいえ手作り=愛情、というイメージは根強く、そこに悩むプレワーキングマザーも多いかもしれません。

 

わたし自身はというと、娘の保育園バッグは手作りしました。保育園に手作りを指定されたわけではなく、単に作ってみるのもおもしろそうだと思ったからです。実際、デザインを考えたり布を選んだりするのはとても楽しかったです。

ただ、手作りすることを決めたとき、「…こういうのって、やっぱり手作りしたほうがいいのかなぁ」「これから復職したら一緒に過ごす時間も減っちゃうし、母親らしいことしようかなぁ」なんて思いがよぎったのを覚えています。

それが作ることを決めた一番の理由ではありませんが、わたしもそういういわゆる「理想の母親像」に縛られているなーと感じた象徴的なできごとでした。

 

その手作りのバッグとともに娘が保育園に通ってもうすぐ1年になります。
いま、保育園バッグの手作りについてわたしがどう考えているかというと、

 

手作りはしたくなければしなくてなにも問題ない。

手作りで自分の満足や達成感を得られることもあるけれど、特に「手作りしたこと」自体は「子供のため」や「愛情表現」にはならない。

 

こんな感じです。

わたしも職場復帰直前の慌ただしい時期にそれほど上手くないミシンで試行錯誤しながら作ったので、「愛情たっぷりです!子供のためにがんばりました!」なんて言いたい気持ちがないわけではないですが、いや待てよ、と、この1年を振り返ると、やっぱり手作りしたからといって子供になにかいいことがあったとは思えないのです。

なぜなら、まず保育園バッグは娘が持っているわけじゃないから。
娘は1歳2ヶ月から保育園に通い始めて、現在2歳。当然ですが着替え2セットやおむつ5枚やエトセトラ入ったトートバッグを肩から下げて歩くことはできません。送り担当の夫か、迎え担当のわたしが持っています。

そして、わたしが他の子のバッグを一切記憶していないから。
お迎えに行くときに他の子とそのお母さんと帰るタイミングが合うことはありますし、週に3回は会う親子もいますが、どんなバッグを持っているかまったく記憶にありません。
お迎えのときは園庭で遊びたがり車に乗りたがらない娘との格闘の時間であり、他の子のバッグなんて気にする余裕がないのです。顔を見て挨拶して、たまにちょこっと子供のことを話したりするだけでせいいっぱいです。

 

あー、バッグなんてそんなものだなあと。

 

娘が「ままのてづくりー!」とか言って喜んで持つものでもないし、他のお母さんもわたしと同じようにきっとバッグなんて見てないと思うのです。

保育園バッグは子供や他人にとって重要なものではないのです。重要に感じるのは、用意し、毎日使う親だけなのです。バッグはあくまでただのバッグです。

あとから写真を見返して、「これお母さんが作ったんだよ~」と言えば子供は喜んでくれるかもしれないけれど、既製品を買ったとして「これあなたに似合いそうなのを探したんだよ~」でも子供は嬉しいんじゃないでしょうか。

ついでにいうと、娘の通っている園では3歳になったら園指定のリュックで荷物を持って行くことになります。1歳入園時に用意したバッグはあと1年で使わなくなります。

うん、やっぱりそんなものだなあと。

 

わたしは手作りしてよかったと思ってますが、それは作るのが楽しかったのと、わたし自身の思い出になったからです。完成させた達成感、とか、自分がデザインしたバッグを持つ娘の姿を見られた、とか。

「理想の母親像」というどこからくるかわからないプレッシャーを感じもしましたが、やっぱり、バッグが手作りかどうかなんかで愛情が測れるわけはないし、他人に判断できるものでもありません。

 

だからもし、手作りできない、したくない自分に悩んで「保育園 バッグ 子供のため」とかで検索してこの記事にたどり着いた方がいたら。

わたしは、保育園バッグを手作りしたけど、特に「子供のため」や「愛情表現」にはなってないなと振り返ってます。
すぱーんと誰か(代行サービス含め)に頼んじゃいましょう。たぶん注文が混むので早めのほうがいいです。そこに罪悪感などまったく感じる必要ないです。

…と、いうのをどうしても言いたいというおせっかい心で、このエントリを書きました。

出会える可能性はとても低いけれど、きっとどこかにいて頭を悩ませているあなたに届きますように。