ワーキングマザーは夢をみる

働きたい、育てたい、すきなことをしつづけたい。

某外資出身IT社長のプライシングから考える、ワーキングマザーの時間管理

わたしの勤め先は小さなベンチャー企業であり、文化としても社長と社員の距離が近いため、社長の話から様々なことを学ぶ機会があります。
起業前に勤めていた某大手外資での経験を土台に、やはり1つの会社を興し成長させ続ける人物ははっきりとした考え方や物語をもっているものだなあといつも思います。

最近、部署内で新しいサービスの値付けをする機会がありました。
そこで社長が言っていたことが印象に残っています。


「コストに利益をのせて販売価格を決めてはいけない」

お客さまに新しいサービスを提供するにあたり様々なコストを報告していた同僚に向けて、このような主旨のことを話し始めました。

人件費とか、機材費とか、必要なコストを積み上げ、その上に利益を乗せて販売価格を決めてはいけない。
まず、顧客はこのサービスにいくらなら払うのか、いくらならサービスが提供する価値と見合うと感じるのかを考えなさい。
その値段を販売価格として設定し、その価格で売るためにコストを整えなさい。
サービスが売れなくては、売れる価格で販売しなくては、何の意味もないのだから。

 

昨今、プライシングの主導権は企業ではなく市場(顧客)が握るようになってきているということは、わたしも知識として持っていたはずなのに、この会議のとき、コスト積み上げ式の値付けに疑問を持っていませんでした。
社長の話はまさに「市場がプライシングを主導する」という考え方で、なるほどこういうことかと、実際の値付けの場面で聞くととても納得がいき、印象的でした。


さて、この話を考えるうち、この考え方は値付けに限ったものではないのでは?と思うようになりました。
わたしはまさに「コスト積み上げ式」の考え方で、顧客に買ってもらえない価格設定=望まない結果に陥ってしまっていることがあるんじゃないだろうか。
拡大解釈(かなり)して、目の前の細かな問題を優先し、そこにとらわれ、本質的な目的を達成できていないこと。

思いいたったのが、終業後の時間管理についてです。

 

夕食の支度に追われ、「だっこー」に応えられない毎日

わたしは現在時短勤務中ですが、時短であるにもかかわらず、終業から娘の就寝までは戦争のような慌ただしさで過ごしています。

平均的なスケジュールは、終業後、保育園にお迎えに行ってから帰宅するのが18時、夕食が19時半(このころ夫が帰宅)、後片付けと娘のお風呂や歯磨きなどをして、寝かしつけ開始が21時から。

夕食は汁物、主菜、副菜2品を必ず揃えています。この品数は、栄養バランスと満足度的に譲れないこだわりです。作り置きやお総菜を使うことに抵抗はありませんが、事前の準備ができておらず、当日にすべて作ることが多いです。
でもわたしは決して料理の手際がよくないので、娘の相手をしながら支度すると、1時間~1時間半はかかってしまいます。
そのため帰宅(18時)から夕食(19時半)までのスケジュールがきついのが悩みです。
しかもこれはあくまで順調なときのスケジュールであり、わたしの残業があったり、娘のイヤイヤで帰宅が遅れたりすると、すべてが後ろ倒しになってしまいます。


「がんばって」なんとかしようとしているけれど…

そうならないようにするため、今のわたしは、帰宅が遅れたときは「がんばって」取り戻そうとしてしまいます。
今日は帰りが30分遅くなっちゃったから、大急ぎでおかずを作ろう!とか、
夕食の支度に使える時間が少ないから、娘の相手をしながら作る余裕がない!ビデオ見てて!!とか。
自分だけでなく、娘にまで「がんばって」もらってる状態です。
余裕のある日は夕食を作ってる途中で娘が「だっこー」と言えば作業を中断して抱き上げますが、たった30分の遅れが出ただけで、それができなくなってしまいます。

どうにかしたいともやもやしていたのですが、この現状がまさに、コスト積み上げ式の結果なのでは?と思ったのです。

 

わたしが本当に達成したいことはなに?

今のわたしは、スケジュールの遅れを取り戻すために、目の前の問題、つまり夕食の支度、娘の相手、をその日その日で場当たり的に対応しています。
その結果、19時半に食事をとりたいという目的が達成できたり、できなかったり。
達成できたとしても、わたしに相手をしてもらえず不満に思った娘が泣いていたり。
心身共に疲労し、罪悪感にも苛まれます。これはわたしが望む結果とはいえません。

では、望む結果とはどういうものだろう…。

  1. バランスと品数を保った夕食
  2. 19時半に食事を始められること
  3. 娘の相手をする余裕

この3つです。
今は「たまたまうまくいったとき」は3つとも達成できているけれど、そうではないときは、「がんばって」なんとか1と2を達成しているけれど、3は欠けているという状態です。

「たまたまうまくいって」いないときも3つとも達成できるようにするにはどうしたらいいんだろう?

社長のプライシングのように、望む結果=上の3つを先に定めて、そこにたどり着くように、やるべきことや時間配分を考えるべきなのではないでしょうか。


こだわりのない「できたて・手作り」のために余裕を失っているのでは?

先に書いたとおり、わたしは夕食のバランスと品数にはこだわっていますが、すべてできたてまたは手作りであることにはこだわっていません。
それなのに、場当たり的に毎回その場で手作りしてしまっていることで、夕食を臨機応変に支度することができず、「娘の相手をする余裕がない」=望まない結果を導いています。

では対策を立てるとすると…

  • 帰宅が18時に間に合わないとわかった時点で、お総菜を買いに行くと決めておく。
  • すぐに食べられる缶詰やレトルトを常備しておく。
  • 週末に常備菜を作ることを習慣づける。

などでしょうか。
帰宅が何分遅れるごとにお総菜を何品買うという目安を考えておく、すぐに食べられるストック食材のバリエーションを増やす、という準備をしておくと、よりスムーズかつ満足度が高まりそうです。


こんなに簡単なことが、普通に暮らしているとなぜかできない

社長のプライシングの話を引き合いに出し、夕食の支度の話を持ち出したかと思えば、結論は「できたて・手作りにこだわらず、お総菜やストックを活用する」というあまりに単純な話…。
自分でも、何を大げさな、と思います。プライシングの話から発想したのは事実ですが、ずいぶん回り道をして仰々しく考えているものです…。

でも、こんなに簡単なことなのに、なぜか、ずっとたどりつけなかったんです。
毎日、毎日、ああ今日も時間がない、急いで作らなきゃ、ごめんね待っててね、またこんなに泣かせてしまった… そんなことでぎゅうぎゅうのいっぱいになっていて、本当に達成したいことはなにかとか、全体を見るとか、根本的な改善とか、そんなことを考える隙はありませんでした。

育児って、なんだかそんなことばっかりじゃありませんか?

復職して、仕事ではそういう考え方は自然とでも努力してでもとにかく常日頃からしているはずなのに、いったん会社を出てお迎えに行って子供との行動が始まると、まるでできない。
目の前のことにとらわれ、とらわれたまま、日々がどんどん過ぎていって。繰り返し、繰り返し。

だから意識的に、仕事で使うような考え方を、育児や家事や生活に当てはめてみよう!というのが、最近のわたしのテーマです。
先日のエントリ「風邪で有給2日使ってへこんでるので予防と対策をKPT法で振り返ってみるよ」もそのうちのひとつ。

こんなふうに上手くいかなくて、回り道して、大げさな考え方をするのは、わたしが母として、働く母として、未熟だからです。
でも、もしかしたら共感してくれる方がいるんじゃないかな、と思い、この記事を書いています。


本当に大事なことのために、他のことや仕組みを変える

道を作りながら進み、なんとなく目についた方向に向かって、障害物があればその都度避け、そしてたどり着いた先を目的地ということにしてしまう。
それはそれで楽しそうだとも思いますが、少なくとも会社員のワーキングマザーとしての暮らしにはなじみません。

目的地を決め、そこに至る道を確認しておき、地図を見ながら進む。それでも迷ったら、ルート変更を検討したり、もっと精度の高い地図を用意したり、ナビをしてくれる仲間を探したり…。

自分が達成したいこと、大事にしたいことを明らかにして、そこに合わせて行動することを心がけなくては、細かいことにとらわれて日々が過ぎてしまう。それは嫌だなあと思うのです。

特に疲れて思考が鈍っているときは視野が狭くなり、目の前のことだけにとらわれがち。

プライシングは、販売価格から。
行動は、自分が望む結果から。

セットで覚えておこう…と、とりあえず、そういえば最近買ってなかったなと、夫の好きなサバ缶を手に取ってレジへ向かった、木曜日なのでした。