ワーキングマザーは夢をみる

働きたい、育てたい、すきなことをしつづけたい。

「毎日かあさん」を見て、「きっとわたしも後悔する」とくよくよしてます

TLで流れてきた「毎日かあさん」がつらいです。

マンガ家の西原理恵子さんが、子供たちが小さい頃の夢を見て、「あんなに抱っこしてほしがってたのに、家事なんかしなきゃよかった。もったいないことしちゃったなあ」と思った…というやつです。


わたしは毎日、後悔ばかり

西原さんは「後悔」というのとはちがうのかもしれないけれど。
わたしは娘がまだ2歳なのに、毎日、昨日を後悔するようなことばかりです。

ああすればよかった、こうすればよかった、なんでああしなかったんだろう、どうしてこんな簡単なことをしてあげられなかったんだろう。

出産前のわたしは、勢いと直感で大きな決断もして、それを後から悔やむようなことはありませんでした。失敗したなーと思ったり、一時的に落ち込むことがあっても、くよくよしても時間の無駄だ!ハイ次々!と無理やりにでも切り替えて、繰り返し悩むことはありませんでした。
それがどうしてこうなったのか、出産後のわたしは、気づけばすぐに後ろを振り返ってくよくよしています。


でも、変えられない今

しかも、今のわたしがくよくよしていることは主に「娘への接し方、接する時間」についてなのですが、それを変えることもどうにもできません。
西原さんのように家事をもっと手抜きしてもいいから娘との時間を作ろうと思うこともありますが、これ以上の手抜きは生活のストレスに繋がると思うと、できずにいます。
娘が起きてる間は仕事をしない、と決めるのも、ストレスです。
家事や仕事ならまだいいけど、ネットとかテレビとかマンガとか、自分の時間をこれ以上後回しにするのもストレスです。

娘ともっと接する時間を持ちたいけれど、それ以外のことを片っ端から娘の睡眠中に持っていくことはできません。体力的にも、精神的にも。

できる限りのことをやっているはずなのに、それなのに、この生活では娘との時間が足りないんじゃないか、ちゃんと向き合えていないんじゃないか、とくよくよしてしまいます。

娘との時間を増やすことも、現状維持も、もちろん減らすことも、みんなストレス。できないこと、至らないことばかりが気になり、悔やまれる。
果てはそんなことをくよくよ悩んでいる自分に嫌気がさします。

一度思考がはまると、笑っちゃうくらいがんじがらめ。
どうしてこうなってしまったんでしょう。


普段はこのがんじがらめの気持ちにフタをして、見ないようにしています。
それがたまに何かのきっかけで呼び起されて、くよくよループが始まります。
TLで流れてきた「毎日かあさん」はまさにその「きっかけ」でした。


後悔ってなんだろう

くよくよに無理矢理フタできる場所=会社で、昼休み中に、自分の扱いきれない気持ちについて考えていました。

そもそも、後悔ってなんだろう?
Google先生に聞いてみると、「後悔しないための○○」とか「人が死ぬ前に後悔すること」とかがずらり…今のわたしにはうんざりです。

後悔とはなにか、の問いは大きすぎて持て余しますが、ひとつ、心理学的に後悔との付き合い方を紹介しているWebサイトのなかに、響く記述を見つけました。

後悔もまた、人間らしさ

という一節です。


人間らしくあること、それを見せること

たしかに、後悔するというのはとても人間らしいことです。
後悔というと、そこから何も生み出さないネガティブなもののように思えてしまいますが、そもそも人間が後悔せずに生きていくことなんてできません。
娘だって、これからの長い人生、大小さまざまな後悔を経験するのでしょう。

わたしたちワーキングマザーが、自分の働く姿から子供に何か学び取ってもらいたいと願うのと同じように、後悔することも含めた人間らしい母の姿を見せることにも意味はあるのかもしれません。
そう考えると、後悔を避ける努力をするより(それも必要とは思いますが)、避けられなかった後悔を否定するより、してしまった後悔とどう向き合うか、そこからどんな行動をするか、にもっとエネルギーを注いだほうがいいのかもしれません。

いつか娘が大きな後悔に苛まれて、母としてなにか言ってあげる機会に直面したとき、「後悔するようなことをするな」と(励ましのつもりであっても)否定するより、後悔している自分を受け入れ、認め、そこからどうするかを考えたらいいとか、そんなことを言ってあげたい。それなら、わたしもわたしの後悔を否定せず、受け入れ、そのうえで前を向く姿を示していきたいものです。


だから、くよくよしてもいいや

いいじゃないか、そのときそのときでせいいっぱいやれば。そんなふうに自分に言い聞かせながら、たぶんこれからもくよくよと育児をしていくのだと思います。
前はこんなにくよくよしなかったわけだから、いつかまたくよくよしなくなるかもしれないし、ずっとし続けるかもしれない。でも、くよくよしないようにがんばろう!というのは苦しいし、しないようにがんばったからしなくなるというものでもない気がします。

くよくよして、にこにこして、またくよくよして、その繰り返しであっという間に子供が大きくなってしまうのかもしれません。それでやっぱり後悔することになるのかもしれません。
そのときに「…でも、わたしなりにせいいっぱいやってたな」とだけ思えればいいんじゃないかな、というのが今のところの結論です。

振り返ればあっという間かもしれないけれど、それでもやっぱり「今」は長くて、ひとつひとつ積み上げていくことしかできません。


今日は降園後の園庭遊びに、いつもより5分だけ長く付き合うことができました。