ワーキングマザーは夢をみる

働きたい、育てたい、すきなことをしつづけたい。

「この子は大変だね~」と言われて、嬉しい?

シルバーウイークに帰省してきました。
娘は慣れない土地でも自由奔放、旺盛な好奇心の赴くままに走り回り、知らない人に果敢に話しかけ追いかけまわし、その姿を見た母や旧友ら育児経験者は口をそろえて「この子は大変だね~」と言っていました。

そうなの!大変なの!!

健康で何よりだし、活発なのも好奇心旺盛なのも娘の個性として大切にしてほしいけれど、ずっと気にかけてフォローしなくちゃならないのが大変なの!!

「大変だね」と言ってもらったことがとても嬉しく感じました。そうだよね、この子は大変な子なんだよね。わたしと夫がそう思ってるだけじゃなくて、他の人から見ても大変なんだよね。
なんだか励まされました。大変な子だ、と言われて大変さが軽減されるわけじゃないけれど、よしこれからもがんばろうって気持ちが湧いてきました。


…という話を、帰省から戻って先輩ママである同僚に話したら、不思議がられました。「大変な子だって言われて嬉しいの?」と。

はて。
そう言われてみると、たしかにおかしな話かもしれない。

「うちの子が小さい時は、発達障害を疑ってたからなぁ。この子は大変だね、って言われたら、すごく気になってたかも」

わたしはこの同僚の子供ちゃんたちが発達障害の診断を受けていないことを知っていましたが、それでも自分の考えが浅かったことに気づかされました。
「この子は大変だねと言われて嬉しかった」このセリフは相手や状況を選ぶべきものだとここで初めて思い至りました。
もちろん同僚は気分を害したわけでなく、単純に言葉通りに「ひとそれぞれだね」と思ったようで、この話題は和やかに終わりました。

でも、考えが浅かったことは今後気を付けるとして、それだけでなく、たしかにわたしの言っていることはなんだか変だなぁと、もやもやしたものが残りました。


そんなことがあって、そのあと自分が「この子は大変だね」と言われて確かに感じた「嬉しい」「励まされた」気持ちについて考えてみたのですが、なんのことはない、答えはあっさり見つかりました。
よく思い出してみると、母や友人たちはみんな「この子は大変だね。あなたはよくがんばってるね」と言ってくれていたのでした。
わたしが言われて嬉しかった言葉は、欲しかった言葉は、この「がんばってるね」のほうだったんです。

がんばってるねと言ってもらいたいし、がんばってることをもっと知ってほしい。でもストレートに「がんばってるねって言ってもらったよ!わたし、がんばってるんだよ!」とはアピールできないから、「わたしの子供は大変な子らしい」と伝えることで間接的に「わたしはがんばってます!」とアピールしてたんですね。

う、うわあ…はずかしい。はずかしすぎる。でも、しっくりくる。残念ながら。


育児はほんと自分のはずかしいところ、浅いところ、至らないところを突き付けられる機会が多くて、ときどきつらいです。自分の成長のチャンス!と思えるまでには毎回すこしの時間が必要です。

自己弁護になってしまうけれど、こんなふうに変ながんばってるアピールをしてしまう要因のひとつに、育児のがんばりがいかに認められにくいかということは確かにあると思います。

育児はそういうものだと言われてしまいがちだけど、わたしはそうは思わないし、わたしも多くのママさんたちも育児ほどにがんばりが認められない(少なくともそう感じる)ことを、それまでの人生であまり経験していません。ほとんどの場合、仕事や大人相手のプライベートの方が承認も成果も得やすいです(仕事が育児より簡単だっていってるわけじゃないです、念のため)。
しかもその育児ってやつは、それまでの人生で一番といっていいほど大変で文字通り人生を賭けたコミットメントが求められるというのに。
そのギャップに、わたしはまだ慣れません。…慣れる、ものなのだろうか?わからないけれど。


母や友人たちは確かに素直に「この子は大変だね」とも思ったのだろうけど、わたしに伝えたかったのは「よくがんばってるね」のほうだったでしょう。
わたしはちょっと変な受け取り方を経由してしまったけれど、言ってもらったときも、よく考えてみた後の今も、彼女らの言葉に励まされていることにちがいはありません。

がんばってるね、と言ってもらったことを反芻しながら、なんとかかんとか日々暮らしていく。そして、夫や、友人や、周囲のひとたちが「がんばってる」と感じたときは、きちんと言葉にして伝えていきたいなと思います。

「がんばってるね」って、もっと、言われたいですよね。