ワーキングマザーは夢をみる

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子育ての悩みの「原因」を求めすぎないように

TLで見かけたこちらのツイート。肩の力がすっと抜けます。

 

そうだよ、そうだよね!とうなづきたい、「その辺で騒ぐような子」の親であるわたしです。


わたしはこの方のように「因果関係が逆である」と言い切ることまではできなくて、自らの普段の姿にも原因があるという思いは捨てきれませんが、子供の性質にもよるということは強く意識したいところです。
強く意識しないと、子供が騒ぐ、話を聞いてくれない、そのほかもろもろの悩みの原因を、わたしや夫の行動にばかり求めすぎてしまうからです。

なにか問題(または問題と感じていること)があるとき、その原因を考えて、対策を講じるという姿勢は重要だと思いますし、常に改善や向上をめざすのが好きです。
自分の仕事やスキル、健康などについてはその調子でプラスになることが多いですが、育児に関しては、そう単純ではありません。

穏やかな子であってほしい、ではどうすれば?という考え方を突きつめすぎると、自分がどうにかできる範囲である「自分の行動」にばかり目を向けてしまい、そして改善できないことに責任や罪悪感を感じたりします。どうにかしたいとするあまり、どうにかできる範囲にしか目を向けられず、「因果関係が逆」つまり自分がどうにかできない範囲である「子供がもって生まれた性質」に目を向けられない。
でも、自分がどうにかできない範囲があるというのはあたり前で、それを受け入れないということは、子供に関する悩みはすべて自分(親)次第でどうにかできるという態度になってしまい、とても危険なことと思います。

自分がどうにかできない、「子供がもって生まれた性質」が原因であるという意識を持つことは、自分にも子供にも絶対に必要なことです。この意識をもてないと自分も子供も不幸なことになるかもしれません。

わたしは子供にできる限りのことをしてあげたいという気持ち(またはそれができていないという気持ち)から「(子供に原因があるのではなく)自分がなにかすべきである」と考えてしまいます。それはきっと落とし穴であって、「原因を求める」という態度の誤った使い方なんだろうなと思います。
冒頭のツイートのえりさんのように、冷静な目で、今起きていること、それをどう感じるか(そもそも問題ですらないのかもしれない)、それはなぜ起きているのか、自分にできることはなにか…を見つめられるようになりたいです。

原因、原因!と求めすぎる態度こそが原因をみえにくくさせるのだと、自分の態度を振り返るきっかけにもなり、そんなに思いつめなくていいんだとリラックスさせてくれるツイートでもありました。