ワーキングマザーは夢をみる

働きたい、育てたい、すきなことをしつづけたい。

「子連れは○○するな」とか言ってる場合じゃない

子連れがそんなに特別な属性とみなされない社会にしていかなきゃなぁ。
わたしたちは「子連れであること」を特別に考えて過ぎているのかもしれません。


一昨日、飲食店が子連れNGとすることについて書いたあと、引用させていただいたブログ記事のブコメや関連記事などを読んでいるうち、なんだかまだ言いたいことがあるぞという気持ちになってきました。

子連れ(子育て中と言い換えても可)は○○すべきとか、○○するなとか、それが常識、そうしないなんて信じられない、と、人格にまで及んでしばりつけるような論調も目立ちます。
もし「高齢者はカフェに来るな」「大学生はカフェに来るな」という話題だったら、こんなにたくさんのひとが注目しなかっただろうし、攻撃的な考えを持つひともそれほど多くなかったのではないでしょうか。

「高齢者」「大学生」と「子連れ」は切り口のちがう属性ではありますが、「子連れであること」を特別に考える人が多いのだなと感じます。
「子連れ」は得体のしれないもののような、自分と共通の言語をもたないような、ともすれば敵対関係にあるような、そんなふうに。

飲食店が子連れNGかどうかという話は、日々ちくちくと感じる「子連れであることの息苦しさ」がはっきりと目に見えるかたちになった問題のひとつだなと思います。


飲食店が子連れNGとすることに関して、わたし個人は、子供を許容できないお店と子連れでない来店客と、子連れ客とで、住み分けすることが一番現実的でよい解決策だと考えています。
だけどそのときに大切なのは、お店、子連れでない客、子連れ客の3者がそれぞれ他者の立場を考え尊重して行動することです。
うちは子連れNGなんでと無下に入店拒否や退店要求をするお店も、子供は泣くものなんだから仕方ないでしょと開き直る子連れ客も、数分の子供の泣き声すら許さず(心の中で思うにとどめられず)攻撃的な態度をとる子連れでない客も、みんな他者のことを考えていないという点では同じです。

子連れなのにこんなところに来るな!も、子連れだからしかたないでしょ!も、「子連れであること」を変に特別扱いしているのではないでしょうか。

全国では485万4千世帯に乳幼児がいるそうです(平成25年国民生活基礎調査より)。全然めずらしくないのです。お互いが気持ちよく暮らせることを、言い分をすり合わせながら考えていくしかないです。それができなければ、子供を産み育てるひとはますます減ってしまう。1人目は産んだけれど、2人目はとても自信がないと考えてしまう。

子供がいるいないのちがいが原因で攻撃しあう社会では、そう遠くない未来に、子連れNGの飲食店云々ではなく飲食店自体がなくなっていってしまうかもしれません。働く人がいなくて。「子連れは○○するな」とか言ってる場合じゃない。

 

 

お盆休み終盤の先日、めずらしく一人でスーパーへ行きました。
いつもより人の多い売り場で、買い物カートの下段に潜り込みつつぎゃおーーと奇声をあげる5歳くらいの男児。負けじと奇声をあげるお姉ちゃんらしき女児。やめなさいと言いつつ子供たちのほうはあまり見ず、買い物を続けるお母さん。

正直、姉弟のダブル奇声はつらいなぁ。子供がいるわたしでもそう思うんだから、子供がいない人はもっとつらいだろうなぁ。

親子3人連れとカートがわたしの横をすり抜けるとき、お母さんはカートに潜り込んで暴れる弟をカートから出そうとしたのか、目線は商品棚に向けたままで、ぐいっとカートを左右に振りました。
わたしの足にカートがあたり、思わず「いたっ!」と声が出ましたが、お母さんは気づかなかったようで、そのまま角を曲がっていきました。

腹が立ちました。
子供がいて大変なのはわかるけれど、わかるけれど…。 

…でも、わたしも、いつか同じことをするかもしれない。
わたしも気を付けなければ。

そういう気持ちだけで、お互いやっていくしかないんだろうなと思います。子連れだろうとなんだろうと、お互いに受け入れあえるようになりたい。そういう社会で、子供を育て、そして娘にも(本人が望むなら)子供を育ててもらえたらと思います。