ワーキングマザーは夢をみる

働きたい、育てたい、すきなことをしつづけたい。

「イエス」が欲しい

最近、インプロのワークショップに通い始めました。
インプロというのはインプロビゼーション=即興のことで、わたしがやっているのは主にゲーム形式で展開される即興の演劇です。俳優のトレーニングや、教育の場でコミュニケーション能力開発に使われたりしますが、独立したエンターテイメントとしても成立するものです。
わたしはナレーションなどの表現の幅を広げるためと、新しいことをやりたいという2つの理由から始めてみました。まだ1ヶ月くらいですがとても楽しいです。

インプロでもっとも大切にされる姿勢として「イエス、アンド」というものがあります。相手の発言や行動を「イエス」とポジティブに受け入れ、さらに「アンド…」と自分のアイディアを付け加えるという意味です。
これを忘れて相手の行動を否定したりネガティブな反応を返してしまうと、舞台上で即興の物語が広がっていかないので、インプロをやっている最中は基本的に自分の発言、行動はすべて同じ舞台に立つ仲間に受け入れてもらえます。

この、「すべて受け入れてもらえる」というのが、なんだか…

とっても心地いいのです!


思えばわたしたちは日常生活で「基本的になんでも受け入れてもらえる」なんて状況はないですよね。
仕事で何かの同意をとるのはそんなに簡単じゃないですし、「イエス」と言ってもらえてもその後に「アンド」ではなく「バット」が付いたり。家に帰れば2歳児に何から何まで「ノー!」「ノー!!」「ノー!!!」とか。
考えたら、自分自身すら、自分に対して「イエス、アンド」と受け入れてあげることはあまりないかもしれません。
「○○したいなー」と思っても、「だめだ、それよりも…」「そうだね、ただし…」ノーか、イエスであっても条件付きが多いような気がします。

「イエス」という言葉に対して「イエスマン」みたいな悪いイメージが付きまとってもいるかもしれないです。簡単に「イエス」ということは何も考えていないことと同じかのように。
自分に対して「イエス」というのは、ただの甘えでしょうか?そうとばかりもいえないのじゃないかなぁ。
「ノー」というほうが思慮深く賢そうにみえるかもしれませんが、「イエス」のほうが難しく価値あることだって多いはずです。


インプロの舞台上でだけでなく、自分や周囲にもっと「イエス」と言えたら、日常が豊かになるのかもしれません。「イエス」が欲しい。たぶん、わたしも、娘も、夫も、友人も、みんな。


ワークショップではあくまでエンターテイメントとしての「イエス、アンド」を基本とした即興を学んでいるのですが、いってみれば日常だって即興の連続ですものね。インプロは日常への示唆に富んだ芸術なのだと思います。