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ワーキングマザーは夢をみる

働きたい、育てたい、すきなことをしつづけたい。

沖縄のカフェで心のこもった接客を受けて、あんなひとになりたいなぁと思った

先日、沖縄へ4泊5日の家族旅行に行ってきました。

2歳児連れで不安もありましたが、大きなトラブルはなく、とても楽しく満足のいく旅行になりました。
那覇空港で大泣きしながら走り回ったあげくに通路の真ん中でばったり倒れてそのまま眠られたのは、ギリギリ想定の範囲内…。)


沖縄のひとは子供にやさしかった

観光地だからなのか、もともとの性質なのか、今回であった沖縄のひとはみんな子供にやさしくしてくれました。かわいいね、元気だね、と声をかけてくれたり、泣いているとあやしてくれたり。

そのなかでも、那覇市内の「カフェにふぇ~ら」で接客してくれたホール担当の男性が本当にこころのこもった対応をしてくれたのがとても印象に残っていて、今日はその男性の接客からいろいろと考えたことを書きたいと思います。


スペインから来たハビエルさん

わたしたち家族がお店にいたのは小一時間ほどなのに、そのあいだ短い会話を数回交わしただけで、わたしはすっかりその男性のファンになってしまいました。

男性はヨガの先生でもあり、カフェ開店前にヨガのクラスを開いているそうです。
それなら調べれば名前がわかるだろうと、ホテルに戻ったあと、カフェの名前とヨガ講師という情報を手掛かりに検索してみたところ、すぐに見つかりました。(ちょっとストーカーっぽいなと思いつつ…)
男性は、スペイン出身のハビエルさんという方でした。沖縄には3年ほど前に移住したそうです。日本語がとてもお上手だったのでもっと長く住んでいらっしゃるのかと思ってました。


ハビエルさんが印象的だったこと

いちばん印象に残っているのは、娘が食事中にはしゃいでスプーンを落としてしまったとき、ハビエルさんが新しいスプーンと交換してくれたときのことです。
わたしが恐縮して「すみません」と言うと、「とんでもないです」と答えてくれたのですが、その「とんでもないです」が、今まで聞いたどの「とんでもないです」より「とんでもないです」の気持ちが伝わってきたのでした。
接客の匂いをさせず、愛想笑いを浮かべるわけでもなく、本当に、気にすることはない、謝る必要はないよ、と思ってくれていることが伝わりました。

ふつう「とんでもないです」は定型文のようなもので、感じのよい「とんでもないです」はあっても、ハビエルさんほど言葉通りの気持ちが伝わる「とんでもないです」はなかなかないと感じました。
わたしだって何回も言ったことがありますが、きっとあんなふうには言えていないなぁ、と、スペイン生まれの方の日本語とその使い方に感銘を受けたのでした。

それは声音なのか、スピードなのか、タイミングなのか、表情なのか、しぐさなのか、そのいろいろのバランスなのか、よくわかりません。
ハビエルさんの言葉とその周辺の空気、というのはずいぶんふんわりした表現ですが、そういう全体的なものなんだと思います。かんたんにはまねできなさそうな、一朝一夕にはにじみ出てきそうにないものを感じました。


ハビエルさんが気になる

それ以来テーブルで食事をいただきながら(ビーガン(菜食)のサンドイッチとアサイーボウル、とてもおいしかったです)ハビエルさんを気にしていると、他の方への対応もやっぱりやさしいのです。
オーダーを受けたあとには「食べられないものはありませんか」、ドリンクバーでコーヒーのポットを傾ける方があれば「足りなくありませんでしたか」、特別なことを言っているわけではないけれど、ひとつひとつの言葉と態度がとても柔らかくて、自分が言われたわけでなくても、ほわっとした気持ちになりました。

食事の後半、娘が飽きて騒ぎ出すと「エキサイティング、たのしいですね。」とにこっ、お店を後にするときは「暖かい時期にもまたきてくださいね」と送り出してくれました(梅雨どきの旅行だったので)。


あんなふうにやさしく子供に接するにはどうしたらいいんだろう

そしてたまたま、その日はハビエルさんのご家族も食事にいらしてました。
かわいらしい娘さんはうちの娘と同じくらいの年だったので、ハビエルさんが紹介してくれました。ここでは「Nちゃん」とします。
ハビエルさんは接客だけでなく、ご家族にもとてもやさしくおだやかに接していました。特に娘さんがちょっとはしゃぎすぎてしまったとき、抱き上げて庭に行き、「Nちゃん、Nちゃん…」とやさしく名前を呼びながら語りかけ続けているのを見かけたとき、ああ、わたしもあんなふうに、感情的にならずに子供に伝えることが目標だけど、全然できていないなぁ…と、日ごろの母親としての自分の行動を振り返らずにはいられませんでした。

接客だけ見ていたのなら、とても心のこもった接客をするひとと出会った、という思い出だったと思います。でも、たまたま娘さんに注意をする父親としての姿を見たことで、このひとのようにやさしくおだやかな親になるにはどうしたらいいんだろう、と考えさせられてしまいました。

ヨガの先生だそうですから、心身の鍛錬を積んでいらっしゃるのだと思います。でも、わたしもちょっとでも見習えることはないだろうか…なんて思いながら、カフェにふぇ~らを紹介するWebサイトを探して見ていると、ハビエルさんについてこんなことが書いてありました。


「自分自身がハッピーでいることで世の中を平和にしていきたい」

ハビエルさんは海外を中心に10年に渡り、全米ヨガアライアンス公認シヴァナンダヨガ正式指導者としてヨガの指導にあたり、約3年前に沖縄へ移住。
スペインの闘牛やトロジュビロ祭(牛の角に火をつけて楽しむお祭り)などスペインの文化にずっと胸を傷めておられたのですが、自分自身がハッピーでいることで世の中を平和にしていきたい、という想いでヨガを教えておられます。

まず、自分自身がハッピーでいること。

シンプルで素直に納得のいく言葉ですが、なんとなく、意外にも感じました。どうして意外に感じるのだろう、と考えてみたのですが、どうもわたしのなかには「すごくやさしいひと=自己犠牲のひと」というイメージがあるのではないかと思います。
あんなにやさしく周囲を気遣う人は、自分を差し置いてでも他人のことばかり考えているにちがいない…と、文字にすると、そういうことじゃないでしょ、と思うのですが、なにかそういう類のイメージが無意識に根付いているような気がします。

わたしは元々そういう考えを持っていたわけではなかったような気がするので、なんとなく、出産・育児中に絶えず意識せざるを得なかった「理想の母親像」の影響ではないかと考えています。意識せざるを得なかった、と過去形で書きましたが、今も意識しまくっているということなのでしょう。
母親となった自分がやさしくしたい対象は主に娘であり、母である自分は娘に対して自己犠牲の精神で愛情を注ぎ続けなくてはならない、そうあるべき、と、ステレオタイプの価値観が常にちらつきます。
だから、わたしもこんなふうに接したいと思わせてくれた方がまず「自分自身がハッピーでいること」と話していることに驚いたのかもしれません。


やさしさと「自分自身がハッピーでいること」

ハビエルさんが実際にどんなふうに考えていらっしゃるのか、直接お聞きしたわけではないのでわかりませんが、自分の日ごろの「やさしくなさ」に悩んでいたわたしは、ハビエルさんの接客と父親としての姿、短いインタビュー記事だけで、いろいろと勝手な考えをめぐらせてしまいました。

母になり、初めてのことばかり、それもこれまでの人生で経験したいろいろな「初めて」とは桁違いに「初めて」なことばかりの毎日で、どうも考えが暴走しがちです。
ん?なんでこんなふうに考えているんだろう?とゆっくり自分を観察する余裕があればまだいいですが、それもなかなかできず…。
やさしさと自己犠牲が関係ないとはいいませんが、安易に結びつけるような感覚が自分の中にあるとしたら、それはあまりよろしくないなと思いました。

日頃の自分を振り返ってみても、やさしくいられる(というよりは、やさしくない自分にならない)ときは、ちゃんと寝ているとか、おなかが減っていないとか、シンクに食器が山積みになっていないとか、洗濯物が片付いているとか、そんなふつうのことが満たされているときです。

ハビエルさんはほんの数十分で周囲をほっとさせるようなすごい方だったけれど、それだって、ふつうの満ち足りたことの積み重ねがあってこそのものでしょう。

彼がインタビューで答えていた「自分自身がハッピーでいること」、これって他人がいうと、うんうんそうだよねって思えるのに、自分が口にするのははばかられてしまう。はばかられる必要なんてないのに。
ふつうにハッピーを追及して、その結果、やさしくあること。その流れに何の問題もないですよね。
リゾート気分でのんびり旅行中だからこそ、いつもより素直に考えられたような気がします。思いがけないお土産をもらったような気持ちです。

 


海に山に食べ物に音楽にと最高の沖縄旅行でしたが、こんな意外な経験ができたりするのも、旅行の楽しさのひとつですね。