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ワーキングマザーは夢をみる

働きたい、育てたい、すきなことをしつづけたい。

「おんぶで自転車を運転して事故」は誰もに可能性がある

大型連休中、国分寺市でとても痛ましい事故がありました。
7か月の赤ちゃんをおんぶして自転車に乗っていた女性が乗用車と接触して転倒し、赤ちゃんが死亡してしまったというものです。

www3.nhk.or.jp


亡くなった赤ちゃんのことを思うと、いや、自分の子と重ねてしまってつらすぎるので本気で思うことはできないのですが、本当に、胸が痛い以外の言葉が見つかりません。

この事故では、自転車の過失が大きいと思われるのに自動車の運転手が逮捕されるなんておかしい、というようなことが話題になっています。
過失の問題についてこのブログではふれませんが、どうしても書いておきたいと思ったのは、「赤ちゃんをおんぶして自転車を運転し、信号待ちをしていた車の間をすり抜けて横断しようとして事故になった」という状況は誰もに可能性がある、けっして特殊なケースではないということについてです。

 

今回の事件について、自転車を運転していた母親への批判的な感想を多く目に耳にします。
なぜそんな危険なことをするんだ、信じられない、同情できない、といったものです。
たしかに危険な運転だったのかもしれませんが、どうにももやもやしていました。特に、まもなく出産予定の友人が、わりと厳しい言葉で批判していたのがとても印象に残っています。
友人の気持ちはわかる、悪気がないのもわかる、自分はそんなことをしないように気をつけようと思っているのもわかるのだけれど…。

考えがまとまらずにいたところ、こちらのブログを拝見しました。

blog.npotadaima.com


「子どものギャン泣きは、親の思考を停止させる」
そうか、このことって、育児中の方以外にはあまり知られていないのか、と気付きました。

わたし自身も、子供を産むまでそういうことに思いをめぐらせてはいませんでした。
加えて、子供がギャン泣きを卒業したあとの親たちも、ギャン泣きが親に与える影響を忘れてしまうのかもしれません。
また、そもそもギャン泣きをあまりしない子供もいるかもしれないし、ギャン泣きされてもそれほどストレスに感じないタイプの親もいるのかもしれません。

とにかく、ギャン泣きやそれに類するぐずりがどれだけ親の負担であるか、そしてそれは日常的に頻繁に起こることで、常にぎりぎりに張りつめた状態で日々しのいでいる親たちがたくさんいることは、あまり認知されていないのだろうなと気付きました。

たしかにわたしも「赤ちゃんをおんぶして自転車を運転し、信号待ちをしていた車の間をすり抜けて横断しようとした」ということをニュースで知ったときは、なぜそんなことを!!と思いました。
でもよく考えると、わたしが同じようなことをしないとは言い切れないのです。

わたしは日ごろ自転車に乗りませんが、同じような、「危険なのはわかっているけど、きっと大丈夫」という根拠のない判断をしてしまわないとは限りません。
「通常の状態」ならしませんが、育児をしていて、自分が「通常でない状態」にあると感じることが多々あるからです。これまでそういうときは深呼吸をしたりして落ち着きを取り戻し、また、落ち着くまで運転など危険が伴うことはしないという理性が働いているので、何事も起こっていません。
でも、もしもいま2歳の娘のイヤイヤがこの先10年20年続いたら、いつかきっと何かやらかしてしまうんじゃないかと思います。10年20年続くなんてことはあり得ないのですが、それくらい、ぎりぎり綱渡りをしているような感覚があるのです。

だからといって危ないことをしても仕方ないとか、判断が鈍るのを多めにみてあげてとかいいたいのではありません。
ただ、そういう状況にある親たちがいることは、もっと理解されている社会のほうがいいなと、思います。

思考を停止させる要因は、子供のギャン泣きに限らず、いろいろあるでしょう。
だけど子供に関しては、どんなに大きな負担であっても、親だから耐えられる、親だから当たり前、そんな大前提が、社会にも、社会の一員である自分自身にも、刷り込まれています。

今回の事故に関して、親だからこそ、自転車を運転していた母親を非難したくなるひともいるかもしれません。でも、親だからこそ、「おんぶで自転車を運転して事故」は誰もに可能性があると考えたいし、それを親であるなしに関わらずひろく伝えたいと思います。


ニュースが伝えていない状況について考えることはメディアリテラシーの基本ですが、育児に関する話題の、わからない/忘れてしまったひとにとっての闇に、小さな懐中電灯を向けることをしていきたいです。