ワーキングマザーは夢をみる

働きたい、育てたい、すきなことをしつづけたい。

わたしは育児がつらいです。って言っちゃだめ?

先日、蓮舫さんのこちらのインタビューを読みました。 

www.buzzfeed.com

 子育てに関するネガティブな報道が多すぎて、若い人が踏み出せなくなってしまうのが残念。たしかに大変だけれど子供は育っていくし、家事代行などもどんどん使った方がいい。こんな楽しいこと(子育て)を経験もしないで自分には無理と決めつけるのはもったいないと思う。子育ても結婚も恋愛も絶対にやった方がいい、という主旨です。

とても共感し、励まされながら読んだのですが、「ネガティブな報道が与える影響」の部分でちょっと考えさせられました。
報道とは違いますが、このブログのような個人の発信で育児のツラさについて書くことの影響って、どういうものでしょう?

わたしも、主に働く母のツラさや悩みやモヤモヤについてばんばん書いているので、この機会に考えてみようと思います。


たしかに、妊娠出産未経験の方を不安にしてしまうかもしれない

マスメディアでの発信に限らず、個人の発信であっても、これは同じですよね。

産後ってそんなに寝られないの?
子供ってそんなにしょっちゅう熱出すの?
保育園に入れるだけでこんなに大変なの?
時短勤務にしたらもうキャリアアップできないの?
(しかもそれ全部「自己責任」とか言われちゃうの?)

…私には無理、って思うひとがいるのも当然ですよね。
育児は体力的に大変とか、病気したときの看護が大変とか、そういう類のつらさだけならば、それでも生みたい、がんばろう!と、比較的腹をくくりやすいかもしれません。
でも現代の、育児と仕事の両立にまとわりつく絶望感…。祖父母の手助けが得られるとか、地方在住などで保活には苦労しないとか、育児支援制度が整っていて同僚の理解もある職場に勤めているとか、高収入でアウトソーシングをどんどん使えるとか、好条件下にある人だけに許された贅沢、それが出産&育児。みたいな印象を、受けてしまっても不自然じゃありません。
特にネット上ではそんな雰囲気、強いかもですね。

では、個人のブログなどであっても、ネガティブな発信は控えたほうがいいのでしょうか?
うーん、やっぱり、わたしはそうは思いません。
なぜかって、それがなければ救われないひともいるはずだからです。それも、とてもたくさん。


ネガティブな情報で安心する自分がいる

まず、育児につらいことはつきものですよね。「何がつらいの?わたしはしあわせいっぱいだよ!」という方もたま~にいますが、基本的に、つらいことは多かれ少なかれ(たいていは多かれ)あるということを、ママパパには同意していただけると思います。
そしてそのつらさは、つらいけどがんばれるというものから、場合によっては自分や子供に危害を加えてしまうほど追いつめられるものまで、大小様々です。

それほど深刻なつらさがある現実で、育児に対する前向きキラキラな情報ばかりだったら、プレッシャーですよね…。どうしてこういうふうに考えられないんだろう、キラキラできないんだろう、って、わたしはよく思います。
逆に、「2歳 保育園 お迎え つらい」みたいなキーワードで検索して、自分と同じような悩みを持つ人がシンプルにつらさを文字にしているブログを読むと、何の解決にもなりはしなくても、少なくとも自分だけの悩みではないことにほっとしたりします。

こういう気持ちの流れって、傷のなめ合いのように映る方もいらっしゃるでしょうか。わたしも出産前は、同じ悩みの人を探して安心するなんてことはしていませんでした。でもなぜか、産後は、育児に関しては、ついやってしまうんですよね。
ママ友など相談相手が少ないことも関係しているかもしれませんが、それ以上に、とにかく育児に関する悩みやつらさは特殊なんですよね。子供の命や将来に関わるというプレッシャーが、母になる前の自分のメンタリティにはそぐわないような行動をもさせてしまうと感じています。

つまりは同じような境遇の人同士で共感し、1人じゃないんだと励みにする、そういうことですが、それだけならもっと閉じたコミュニティでやってもいいのかもしれません。
深夜の授乳中にTwitterを開いて、同じように起きてるママさん同士で「夜勤まじつらい」とか言い合ってました。あれも心強かったです。

だけどそれだけじゃなく、ブログのような、開いた個人メディアで発信することの意義もあります。
わかりやすいのは、もう2ヶ月も前の話題とは思えないほど言及され続けていますが、「保育園落ちた日本死ね」ですね。


ネガティブな情報のほうが伝わることがある

キャッチコピーの書き方の定石として「ポジティブな言葉よりネガティブな言葉のほうが興味をひく」というものがあります。「私の年収、低すぎ…?」みたいなやり方ですね。このやり方が好きかどうかは別として、「あなたの年収、上がります!」より気になるのはたしかです。

社会の課題も同じで、「こうしてくれ!」という要求より、「こんなことに困っている!助けてくれ!」という叫びのほうが、他人の心を動かすことがあります。課題にスポットライトがあたり、応援してくれたり、対策を立ててくれる人が現れたり、ビジネスで解決しようとしてくれる人が現れたりします。
「こんなことに困っている!」のほうが気持ちがこもりやすいというのもありますね。「保育園落ちた…」はその切実さがヒリヒリするくらい伝わってきたからこそ、これだけ大きな話題になったのですから。
あれがもしも「保育園落ちた。日本社会はこのようにして待機児童問題を解決すべきだ!」というエントリだったら、まったくバズらなかったでしょう。

「こうしたい!」という要求は、困ったことから考えを進めて出てくるものなので、それよりもナマの困ったことそのもののほうが社会を動かすというのは、寂しくもありますが…。まあ、課題の解決をゴールとするならば、困ったことがきっかけとなり、こうしたいという要求にもスポットライトがあたっていくという流れになればいいのでしょう。


育児に関するつらいことを、どんどん発信しよう

だから、わたしたち個人はネガティブかどうかなんて気にせずにどんどん発信したらいいと思います。
育児に関しては社会全体が模索中です。働きながら育てるのを女性のスタンダードにしようという今、わたしたち自身で道を切り開くためには、ネガティブであろうとなんだろうと、現状を言語化して、とにかく表舞台に登場させなくてはいけないのではないでしょうか。

一方で妊娠出産未経験の方を不安にしてしまうリスクについてですが、これも社会が過渡期だからこそネガティブ情報が影響しやすいのかもしれないですね。ロールモデルがいないなかで、マイナスイメージばかりが先行してしまうのかな。

つらいことだけでなく時々でも嬉しいことも発信するとか、つらいことを改善するアイディアも発信するとか、マンガとか笑いを交えて表現するとか、工夫が必要かもしれません。

一番いいのは、ママパパであるわたしたち自身を見て「親になるのもいいな」って思ってもらえることでしょうか。自分も家族も笑顔であるように、よりよい方向を目指し続ければ、自然とそういう印象を与えられるかもしれません。

 


わたしは育児がつらいです。子供を育てながら働くのもつらいです。
でも、子供も仕事も大好きで、つらさ以上のかけがえのないものをたくさんたくさんもらっています。愛情だったり、達成感だったり、新しい感性だったり、具体的なアイディアだったり。

だから、つらいことも嬉しいこともどんどん発信して、つらいことを解決し、みんなでもっと楽しめる社会にできるように、小さな力になりたいです。

明日のわたしと、20年後の娘のために。