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ワーキングマザーは夢をみる

働きたい、育てたい、すきなことをしつづけたい。

「大きな子供がいると思って…」って、わたしは子供と結婚した覚えはないのです

いつも考えるきっかけをくださるスズコさんのブログ。(ファンです)
偶然、わたしが週末に友人(先輩ママさん)と盛り上がった話題とリンクしました。

「夫を〇〇と思えばイラッとしない」というテーマです。

suminotiger.hatenadiary.jp

 

引用させていただきます。 

朝TLに流れて来た2つのツイート。

1つは妻側から「夫が空のバターの容器をそのまま冷蔵庫に戻していたから怒った、相手をチンパンジーとみなしたら仕方が無いと怒りが和らいだ」

もう1つは夫側から「空のバターの容器を何気なく冷蔵庫に戻していたら妻が人に思えない様相で怒った」というもの。

  

苛立ちが異種と見なせば落ち着くなら、それは相手が悪いからじゃなくて自分の中で相手をきちんと境界線を引いて距離を置けてないからかもしれない。

私と相手は違う人。

「空の容器をそのまま冷蔵庫に戻したら私が困る」こともまた、相手の脳みそに無ければ伝えなければわからない。それくらい察するのが簡単にできる人もいれば、できない人も、家庭のなかではスイッチ切ってるけど言われて意識すればできるって人も、いろいろなんです、多分。

 

「自他の境界線」という概念を挙げてとてもわかりやすく解説されています。
まだの方はぜひ。

 

「夫を〇〇と思えばイラッとしない」、〇〇には何が入る?

スズコさんのエントリでは、○○に入る単語として「チンパンジー」「エイリアン」「外国人」「異次元から来た人」などが登場します。

たしかに、育ってきた環境もちがう性別もちがうあれもこれもちがう夫とは異文化コミュニケーションという感じがします。外国人とか、なるほどなぁと。

 

さて、ここからは、昨日、わたしが友人と話していたテーマです。

「夫を外国人と思えばイラッとしない」

ではなく、

「夫を"大きな子供"だと思えばイラッとしない」

だとどうでしょう?

わたしが、つい夫にイラついてしまって…とこぼしたとき、お世話になっている教育関係の方(60代の女性)からアドバイスとして言われた言葉です。
同じように言われたことがあるひと、多いのではないでしょうか。

 

「外国人」と「大きな子供」、どうちがうのか?

意思疎通が難しいとか、だからコミュニケーションを工夫しないといけないとか、そういう点では同じかもしれません。「男はいつまでたっても少年」みたいに言いますし、何か問題があるの?そんなものじゃない?という考えの方もいると思います。

わたしにアドバイスをくれた女性は、いつも本当に親身になってくださっている先生で、たくさん助けられているし、信頼しています。でも「大きな子供だと思って」とは…。もちろん悪気はまったくなく、本当にわたしを思ってくださっているので、世代間のギャップというしかないのでしょう。

だからこの先生のアドバイスは言葉でなく気持ちだけいただくことにしました。

でも、もやもやはどうしても消えません。

「夫を"大きな子供"だと思う」、この表現にすごく抵抗があるということを、その場では言えませんでしたが、やはりはっきり声をあげないと始まらないような気がしたのです。

 

そもそも、なぜ夫にイラッとするのか

夫の名誉のためにはじめに書かせていただくと、夫はとても積極的に家事育児をしています。わたしは時短勤務中だし半分ずつとまではいきませんが、なんでもお願いできるので、夫に娘を任せてわたしが休日出勤することも、遊びに行くこともできます。

それでも、夫の行動にイラッとしてしまうことが少なくありません。
わたしにとっては「常識であること」「当たり前にやるべきこと」が、夫には通用しない。「なんでそんなこともしてくれないの?!」とイライラしてしまう。大体はこのパターンです。

夫も同じパターンでわたしにイラッとすることもあるだろうと思いますが、もともと産前から家事はわたしのほうが多く担当していましたので、我が家ではなんでもわたしのやり方が主流です。そこにそぐわないことを夫がすると、わたしがイラッとしてしまう、という機会が圧倒的に多いです。
産前に家事のやり方を共有しておかなかったとか、反省点はあるのですが…。

産後2年ちょっとの間に学んだことは、まさにスズコさんがおっしゃる「私と相手は違う人」ということでした。
スズコさんが書かれている「自他境界」についての知識はありませんでしたが、梨木香歩さんのエッセイ「春になったら苺を摘みに」に出てくる「理解はできないが受け入れる」という言葉とか、「情報伝達がうまくいかないのは受信側でなく発信側の責任である」という考え方(これは司会とかナレーターとか情報を伝える仕事をする人間としてのものです)を元々持っていたところからたどりつきました。

夫はわたしをイラつかせようと思って行動しているのではない。わたしがなぜイライラするのか、はっきり伝えなければならない。不機嫌な顔をして溜息をついているだけでは何も変わらない。そんなところです。

(伝えられているかどうかは、また別の問題ですが…)

 

「外国人」と「大きな子供」のちがい

共働きである以上、家事育児を分担することはマストです。
双方にやる気があるのなら、それがうまくいくいかないはコミュニケーションの問題ですよね。

話を戻します。

夫にイラッとする=コミュニケーションに問題が生じているとき、

A:夫を外国人だと思う
B:夫を大きな子供だと思う

2つのちがいはなんでしょうか。

 

これは明白で、自分(妻)との関係性ですよね。

コミュニケーションの問題を解決するにあたって、外国人とわたしは対等です。言葉が通じないならジェスチャーを使ったり、絵を描いてみたり、協力して解決に向かいます。

いっぽう、大きな子供とわたしは対等ではありません。大きくても相手は子供ですから、根気よく教えて、導いて、成長を促さなくてはいけません。それも、5年、10年という時間をかけて。大きな子供本人は、ほめられたりごほうびがあればやる気を出しますが、気が向かなければやりません。子供なので仕方ないのです。

 

わたしは何と結婚したのか

はてさて、夫婦とはいったいなんなんでしょう?
わたしが頼りにしている夫は、わたしが守り育むべき子供だというのでしょうか。

なぜ出産後こそさらに頼りにしたいパートナーが「子供」になってしまうのか。誰も子供と結婚した覚えはないぞっと、声を大にして言いたい。

念押ししますが、わたしの夫含む世の男性が子供っぽいと非難する話ではないですよ。男は子供でもいいのだという価値観がいまだ根強くあることに、抵抗したいという話です。

そもそもね、女だって少女でいたいですよ。永遠に乙女だから乙女ゲーできゅんきゅんするし、子供と童心にかえって遊びたいんですよ。だけど子供と夢中で遊ぶのは男の人担当みたいな感じでいつも先に童心に帰られちゃうと、その場が全員子供になっているとなにか危険に気づかなかったら困るとかそういう思いがあるから、女の人は子供に戻れない。さみしいんです。わたしも子供に戻りたいから、見守っててほしいときもあるんです。

ってちょっと話がそれました。これはね、夫婦間で話せば解決するのでいいんです。
でも社会にそういう価値観があるのはやっぱり問題です。いずれ薄れゆく価値観なのかもしれませんが、だからといって、ぐっと飲み込んでおけるほど余裕があるわけでもなく、飲み込めないくらいにざっくりひっかかる価値観だと思っています。

 

夫婦が対等なパートナーであるという考えを共有したい

たしかに少年のようなところをもっている男性は魅力的だと思います。男性に限らず、女性もそうでしょう。

でも、パートナーが力を合わせて家事や育児に取り組む、課題があれば解決するために努力する、そういうときに「夫は子供だと思って」というのは、妻にずるく甘えることでしかないと思います。
この価値観が長らく根付いていたため、そんな風に悪気があって思っている人は少ないのかもしれません。でも、いまのわたしたちにその価値観は暴力にもなるということを、どうにかして知ってもらえないかと思います。

現代の子育て世代の暮らしは、夫婦が対等でなければ成り立たない。
その考えを、当事者だけでなく、世代を超えて、共有したいです。子育て世代が生きにくければ、それはそのまま日本の生きにくさにつながるのですから。

 

さらに思うのは、「夫を大きな子供だと思って」なんて言われたら、世の「夫」のみなさんだっていやじゃないのかな?ということ。
家事も育児もがんばってるのに、妻とちょっとすれちがうと「子供だからしかたないのよ」って陰で言われてる… うちの夫だったらすごく嫌がりそう。

女性も、男性も、言われて嬉しい言葉じゃないのだと思うのですよ。
世代がちがうから、と切り捨てるのはかんたんだけど、できるだけそうはしたくない。
ちょっとずつでいいから、子育て世代がリアルに考えていることを、伝えていけますように。